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データは、直感的な行動を後押しする“学びの源泉”──7年ぶりに新著刊行の矢野和男、データ・ドリブンな幸福論を語る|Data for Experience#1

データ活用を主眼とした活動に取り組まれている企業や研究者に話をうかがいながら、体験の向上に寄与するデータ活用のあり方を考えていく連載企画「Data for Experience(D4X)」。第1回は、心理学や経営学の学術成果に基づき、「幸福」のマネジメントを軸とした企業経営を実現する事業に取り組む、ハピネスプラネットCEOの矢野和男さんをたずねました。企業は今後、いかにしてデータに向き合い、顧客体験(CX)や従業員体験(EX)の向上に取り組んでいくべきなのでしょうか?

ビジネスやプロダクトづくりにおけるデータ活用の重要性は、自明なものとなっています。他方、生活のあらゆる側面のデータを取得・活用するテック企業に対する規制が、国内外で強まっているのもまた事実。企業は今後、いかにしてデータに向き合い、顧客体験(CX)や従業員体験(EX)の向上に取り組んでいくべきなのでしょうか?

データ活用を主眼とした活動に取り組まれている企業や研究者に話をうかがいながら、体験の向上に寄与するデータ活用のあり方を考えていく連載企画「Data for Experience(D4X)」。第1回は、心理学や経営学の学術成果に基づき、「幸福」のマネジメントを軸とした企業経営を実現する事業に取り組む、ハピネスプラネットCEOの矢野和男さんをたずねました。

2004年より、日立製作所フェローとして、ウエアラブルセンサを活用した幸福度測定技術の開発に取り組んできた矢野さん。2014年には、その研究成果をもとに科学的な「幸せの法則」を論じた『データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』(以下、『データの見えざる手』)を刊行し、従来の文学的・哲学的な幸福論とは、少し違う角度の議論で話題を呼びました。

同書の刊行から、約7年。Apple Watchをはじめとしたウエラブルデバイスはますます普及し、「幸福」を実現するテクノロジーである「ウェルビーイング・テクノロジー」という言葉も生まれ、矢野さんが提起した議論はますます現実的な問題となっています。2021年5月には新著『予測不能の時代: データが明かす新たな生き方、企業、そして幸せ』(以下、『予測不能の時代』)を上梓した矢野さんが、いま考える、「幸福」に寄与するデータ活用のかたちとは?

ルールやPDCAサイクルに縛られては、「予測不能の時代」に対応できない

つい先日、『データの見えざる手』以来7年ぶりとなる、本格的な単著『予測不能の時代』を刊行されました。

ずっと書いていたものが、ようやくまとまったので出したものです。実は、『データの見えざる手』刊行から2年後の2016年頃には、「次の本を書こう」という話は動いていまして。その頃から少しずつ書き始めて、丸5年かけて書き上げました。「予測不能」に向き合うというテーマで書いていたのですが、世の中も変化への対応を強く求めるようになり、結果として、いいタイミングになったのではと思っています。

毎年のように新著を刊行される著者の方々も珍しくない中で、かなり時間をかけて書かれた本なのですね。

もちろん、ブログやウェブメディアなどで断片的な書き物は出していました。でも、本にするというのは、私にとっては特別なことなんです。そもそも私は、本を買うのも読むのもめちゃくちゃ好きな人でして。自宅には、登れるようになっている特注の本棚があって、4メートルくらいある天井まで、ぎっしりと本が詰まっているくらい(笑)。

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中でも、ピーター・ドラッカーの著作は“本の中の本”だと思っています。50年以上前に書かれた本であるにもかかわらず、何度読んでも新鮮で。いま読んでも全く古びていないんですよ。すごいことですよね。

本を出すのであれば、ドラッカーの本のようなものを出したい。『データの見えざる手』も、非力ながらそう考えて書いたものです。ちゃんと井戸の水が溜まってから価値ある形で出そうと、休日などに少しずつ書き進めていたら、5年も経ってしまいました。思いつきを並べた随筆集のようなものは、出したくなかったんです。

『データの見えざる手』は、たしかに刊行から7年が経ったいまでも、全く色あせない本だと思います。回答者に一度内省を促す質問調査ではなく、ウェアラブルデバイスで、つまり人の行動から「幸福」を計測する手法は、当時としては革新的でした。また、それによって取得した「腕の動き」のデータから、一日あたりの活動量の限界が示されていったのも刺激的でしたね。むしろ、ここ数年でApple Watchをはじめとしたウェアラブルデバイスが少しずつ普及してきて、あの本で論じられていた議論に、ようやく時代が追いついてきた印象すら受けます。

ありがとうございます。新著もそんな本にしたいと思って、「DX」のような流行りのキーワードや潮流に乗っかるようなことは、基本的にしない方針で書きました。「予測不能の時代」というタイトルも、コロナ禍になったからつけたわけではありません。もともと「予測不能」をテーマに本を書いていたら、たまたまパンデミックが来て、社会全体の「予測不能」の度合いが一気に高まってしまっただけです。

「予測不能」がテーマとは、どういうことでしょうか?

『データの見えざる手』では、データからどんなことが見えてくるのか、という点をメインに論じました。今回は、データから普遍的に見えてくる部分は頼りにしつつ、それでも予測不能なことが多い時代にどうあるべきか、という点を主題に置いたんです。

ドラッカーが1964年に刊行した『創造する経営者』に、こんなことが書かれています。「われわれは未来についてふたつのことしか知らない。ひとつは、未来は知りえない、もうひとつは、未来は今日存在するものとも、今日予測するものとも違うということである」と。要するに、未来は予測できないということを、とても強く言っているんです。

私もその通りだと思います。そして、約60年前ですら予測不能だったのですから、どんどん変化が加速する一方であるこれからは、ますますその傾向が強まるでしょう。それにもかかわらず、いまの世の中の仕組みは、「予測可能」であることを前提に作られているものばかり。ルールや計画、予算を立ててPDCAサイクルを回すこと、標準化による横展開、内部統制のチェックリスト……すべてが「予測可能」であることを前提としています。

もちろん、そうした仕組みは必要です。それらがない社会より、ある社会のほうが良いと、間違いなく思います。でも、そのマイナス面を認識せず、無条件に良いものだと思っている人が多すぎる。そもそも、すべてを予測可能にすることは不可能で、予測できないことのほうがはるかに多いのに、です。

すべてを「予測可能」と誤解することで、どのような問題が生じうるのでしょうか?

要するに、変化に適応できなくなってしまうんです。「これまでこういう風にやってきたから、同じようにすればいいんですよね」という、変化のときに一番やってはいけない行動を取ってしまう。結果を出すことや企業の存続よりも、変化が起きる前に作ったルールや計画、予算やチェックリストを踏襲することのほうが大事になってしまうんです。

それはおかしいですよね。状況が変わったら、やり方を変えなければいけない。予測不能であることを前提に、職場や仕事、マネジメントや人の幸せ、データ活用のあり方を、根底から考え直す必要があります。そんな内容を、データが指し示していることを参照しながら書いたのが『予測不能の時代』です。データによる礎を築いたうえで、いかにして予測不能性に向き合うか。これが新著の主題です。

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予測不能な中で、変化を前向きに捉えていくことこそが「幸福」

データは「予測不能」な世界を生き抜くための拠り所となるけれど、すべてを予測可能にしてくれる全能のものではない、ということですね。「ビッグデータ」という言葉が流行るはるか昔、約20年前から「幸福の計測」に取り組み続けてきた矢野さんだからこそ、データの限界も痛感されていると。

他方、先ほど触れたようなウェアラブルデバイスの普及もあいまって、昨今は「ウェルビーイング・テクノロジー」など、テクノロジーを活用して幸福を追求する動きも強まっています。

我々がウエアラブル技術とビッグデータの収集・活用技術の研究をはじめた2004年と比べると、夢のような時代になりましたね。データ取得のためのテクノロジーやインフラが、ずいぶんと整備されました。2004年当時は、スマートフォンもなく、第3世代移動通信システム(3G)が普及しはじめたくらいの頃。無線のプロトコルから自作して、データ計測のためのウェアラブルデバイスを用意していました。

そんな時代に「幸福を計測する」取り組みに着手されていたとは、あらためて驚かされます。そもそも幸福を文学的・哲学的なアプローチではなく、科学的に捉えようとする発想には、どのように行き着いたのでしょうか?

大学時代の一番の愛読書がカール・ヒルティの『幸福論』で、もともと「幸福」は私にとって非常に大事なテーマでした。当時の親友にも「幸福に関する仕事に就きたい」と語っていましたしね。日立製作所に入社してから20年ほどは、単一電子メモリの室温動作など、幸福とはまったく違うことに取り組んでいましたが、ルーツの問題意識はずっと残っていたのではないかと思います。

その後、データの取得・解析に取り組むようになりました。MITと生産性にまつわるデータ解析の共同研究をする機会も得るなど、データのおもしろさに取り憑かれていったのですが、「結局、目的次第だな」ということも痛感するようになりました。いくらデータがあっても、目的がないと使い道がない。逆に適切な目的があれば、ストレス低減や生産性向上に寄与する宝に化ける。そう気づいたときに、かねてからの問題意識もあいまって、「究極の目的は人の幸福だよね」と考えるようになったんです。

また、当時たまたま手にとった、アメリカのポジティブ心理学研究者のミハイ・チクセントミハイが書いた『フロー体験:喜びの現象学』にも刺激を受けました。私は当時、人の行動や心理学に関する学術的知見を持っていたわけではなかったのですが、データの取得・解析が行えるバックグラウンドがあったので、両者をかけ合わせれば何か新しいことができると直感しまして。本を読んだその日に、チクセントミハイ先生に「会えませんか?」とメールを出したんです。そうして共同研究の機会をいただけたのがきっかけとなり、さまざまな心理学の先生たちと一緒に実験や研究に取り組むようになって、「幸福を科学的に捉える」活動にのめり込んでいったんです。

かねてから関心があった幸福論と、のちに興味を持ったデータ活用が結びついたのですね。新著で中心的に取り上げる「予測不能」というキーワードは、当時から念頭に置かれていたのでしょうか?

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私にとって「変化にいかに立ち向かうか」というテーマはずっと大事だったので、学生時代から頭にはあったと思います。そもそも若いときは、誰しもだいたいの変化が、自分にとって予測不能じゃないですか。就職、結婚、子どもを持つこと……世の中ではありふれたことでも、本人にとっては、先の見えない予測不能な現象で、ある種の不安も付きまといます。

ただ、あるとき「予測不能なことにしっかり向き合い、前向きに進んでいくことは、決して悪いことではない」という境地に至ったんです。 大きなきっかけとなったのは、妻と小さい子どもを連れて、1年間外国で暮らした経験です。家を借りることから、免許取得、水道の開通まで、何から何まで自分でやらなければいけない。でも、「どうなるんだろう」と思いながら乗り越えていくと自信になるし、だんだん「このプロセスこそが幸せなのではないか」と思うようになったんです。

実は幸福論で論じられている話も、同じようなことなんですよね。フレッド・ルーサンス教授が提唱し、多数の科学的な研究によって裏付けられた「心の資本」(Psychological Capital)という概念があります。この「心の資本」が問題にするのは、一時的な喜びや快楽ではない「持続的な幸せ」。持続的な幸せに関係する要因の中でも、とりわけ、我々が「訓練や学習によって高められる要因」に注目した結果、「心の資本」が以下の四要素から成ることが明らかになったのです。

一つは“Hope”、自らの道を「信じる力」。第二は“Efficacy”、自信をもって「踏み出す力」。第三は“Resilience”、困難にも「立ち向かう力」。第四は“Optimism”、複雑な状況をポジティブなストーリーとして捉え、「楽しむ力」。これらの頭文字を取った「HERO」、すなわち予測不能な中で変化を前向きに捉えていくことこそが、「持続的な幸せ」と「パフォーマンス」の最も根源にある資本なのです。

根拠がなくても「直感的に動ける」ことが、幸せに直結する

「変化を前向きに捉えることが幸福」という話を聞いて、『データの見えざる手』の中にあった印象的な記述を思い出しました。本来「帰納的」な仕事であるデータ分析に、「演繹用」に作られたコンピュータを使わざるを得ず、それゆえに人が「仮説」を設定しなければいけないことの問題点を指摘されていた箇所です。変化を前向きに捉えるとは、事前の仮説にとらわれず、帰納的にものごとに向き合っていくということなのではないでしょうか。

そう思います。でも、たとえば論文の書き方一つとっても、演繹的に「仮説を検証した」としたほうが、わかりやすくて説得力が出るんですよね。実際には「やってみたらわかった」、つまり帰納的に研究が進められていることがほとんどだと思うのですが、あとで論文にまとめるときには演繹的にして表現する場合が多いのです。

「やってみたらわかった」と大声で言えるような組織や社会であるべきだと、私は考えています。身近なものごとを思い浮かべても、基本的に最初に直感があって、後から理屈や説明がついてくることがほとんどだと思うんです。でも、「直感でこっちに行った方がいいと思うから、何か行動を起こします」という動き方は、たとえば会社の中では成り立たないじゃないですか。「なぜか説明して」という話になりますよね。それは自然の摂理を無視していて、おかしいと思うんです。

本来、行動し始める前のスタート地点では、分析なんかいらないはず。最初は直感で行動をし始め、やっていくうちにだんだんと説明がついてくる。そうした自然の摂理を知り、「私は直感に従って行動を始めます」と大声で言える環境こそが、先ほど紹介した「HERO」を生み出す場所だと思います。

見えないのに、道があるはずだと信じること。あるはずだと信じて行動を起こす、踏み出していくこと。「計画を作りました」「PDCAサイクルを回します」と言わなくても、「そっちに行きそうな直感があるから行動を始めます」と大声で言えるようにすべきだと思います。根拠は必ずしもなくていい。根拠がないときでも動けることが、幸せに直結するということを、データは如実に示しています。

予測不能であることを前提に、直感に従って動き始める。それを可能にするためにも、後から検証するためのデータが必要だと。予測不能であることと、データ活用ということは、密接に結びついているのですね。

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はい。学びを最大化するために、データが必要だということです。 『予測不能の時代』でも、セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問の鈴木敏文さんの言葉を引用しながら触れているのですが、「ビッグデータ」は常に過去のもので、それだけでは不十分なんです。判断は常に未来に関わることなので、過去のデータを見ているだけでは足りないに決まっています。

それにもかかわらず、昨今はたくさんのメディアで「国家でも事業でも、データを大量に持っているところが覇権を握る」とばかり言われています。それは、基本的な前提を疑ったことがない人の発言です。予測不能の時代に、過去のデータだけで未来のことがわかるのでしょうか? わからないに決まってるじゃないですか。データの使い方はそうあるべきではない。いかにデータを通じて過去から学ぶのか、という点を中心に考え直す必要があると思います。

お話しをうかがう前は、矢野さんの研究について、「データで幸福の法則を明らかにする」という文字面の印象から、「人間はある種の決定論としてその法則を受け入れ、ただ従うしかないのか?」という感想も抱いていました。でも、むしろ真逆の話だったのですね。データで法則を明らかにするからこそ、予測不能な領域にもチャレンジしやすくなる。

本当にそうです。人間を解析するうえで、過去を真似する「守り」と過去にないことをやる「攻め」の両方が必要なんです。そして、攻めには必ず学びがある。 予測可能な守りばかりしていると、失敗も少ないけれど、その代わり学びも少ない。だから攻めをどれだけできるかが大事だと思っています。

何を変えられて、何を変えられないのかを、しっかりと理解することが大切です。たとえば、いくら「予測不能」とはいえ、私に効くワクチンが地球の裏側でも効くというのは、基本的に予測可能でしょう。地球の裏側に行っても、ジャングルの中に行っても、99.9%同じDNAを持っている人類として、意識や文化と関係のないレベルで、バイオケミカルに様々な反応が起きていることは、普遍的であるわけです。重力法則や、生きるのに食事や水が必要なのも同じように普遍的です。

普遍的で変えられないところが存在することと、変えられるところを未来に向かって切り拓いていくことは、全く矛盾しない。 我々は食欲や睡眠欲のようにさまざまな生理的欲求を持っていて、それを否定するのはおかしいですよね。変えられない部分はたしかにあって、その影響は間違いなく受ける。そうした基本的な制約をちゃんと理解したうえで、データを通して学びを得ながら、人生で一度きりのものごとに挑戦していくことが大切だと思うんです。

ハウツーではなく、原理原則を踏まえた“試行錯誤”を

もう一つ、データ活用のあり方を考えるうえでうかがっておきたいのが、データ取得や利活用に際する、倫理の問題です。昨今は国内外で規制が強化されており、もはやデータを使ってビジネスを展開する企業にとって、避けては通れないトピックとなっているかと思います。データ倫理を踏まえたうえで活用を推進していくため、企業はどのような点に留意すべきなのか、また現状だとどのような観点が不足しているのか、矢野さんの見解をお聞かせいただけますか?

倫理観は時代や状況によってどんどん変わっていくので、「このルールさえ守ればOK」という問題ではないでしょう。結局、「社会にとって良いことはなんですか?」という問題を、真剣に考え続けることが必要なのだと思います。

テクノロジーが人の生活・体験や身体、そして精神に至るまで、すごく大きな影響を与えている以上、開発・提供する側の企業には大きな責任がある。 たとえばユーザーの幸せは一切どうでもいいと考え、とにかく広告収入の増加だけを追い求めるのは、それが及ぼす影響に責任を負っていないので、倫理的ではない。

もちろん、我々人間は万能ではないし、あらゆる事態を想定することはできないので、何か問題が起きてから「そんなこと想定できたよね」と糾弾ばかりするのは好きじゃありません。先ほどもお話ししたように、たいていの理論は後付けですし、結果としてリスクを想定しきれないこともある。

そうした失敗を一切許さないと、何も新しいことができなくなってしまいます。それも間違っていて、倫理的ではないでしょう。結局、「人を幸せにしているのかどうか」をあらゆるテクノロジー開発者が意識しなければいけないという話なのだと思います。

倫理の問題に一般解はないので、「幸福」を目印に、状況に応じて都度判断しなければならないということですね。

はい。結局、試行錯誤していくための投資をすることが大切なんです。これは、企業の組織マネジメントにおいても同様です。幸せな集団の特徴として、「つながりが均等(Flat)」「5分間会話が多い(Improvised)」「身体の動きが同調(Non-verbal)」「発言権が均等(Equal)」の4つ、頭文字を取って「FINE」があります。ただ、これをハウツー的に実践していくのは本質ではない。これはHEROになるための条件であることを、しっかり理解することが大切です。「あそこがやっているからうちも」とハウツーだけを真似しても、意味がありません。

たとえば、最近注目されている「1on1」は間違った方向に人を導く恐れのある施策です。上司と部下が話す体験自体は、別に悪いことではありません。だけど、それだけでコミュニケーションしたつもりになると、不幸で生産的ではない組織になることをデータが示しています。むしろ、組織図上で横や斜めの人と会話があるかが幸せにも生産性にも強い影響を与えます。そういうことが、もうデータに出ているわけです。その意味で、1on1はそれだけでは不完全な仕組みであり、もっと大事なことがあり、他の施策と組み合わせなければいけないんです。

そして、リモートワークになるとより一層、これまでのやり方ではFINEを実現しづらくなる。だからこそ、もっと意識的に、試行錯誤に時間や労力を投資していかなければいけないんです。もちろん、たとえばウェブ会議のときのファシリテーション方法などで、コツと呼べるようなものはたくさんあります。でも、大事なのはやり方そのものではなくて、やり方を変えること。そのために他のことを多少犠牲にしてでも、まず試行錯誤の優先度を上げることが必要です。

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先ほどの「変えられることと、変えられないことを区別する」という話と同じで、原理原則はあるけれど、企業によって事業も組織も違うので、結局はやってみないとわからないということですね。変わらない部分を当てはめるだけでは、うまくいかないと。

はい。やってみて、どんどん新しいやり方を作っていくということです。ハピネスプラネット社はまだ、10人くらいの会社ですが、毎日1時間朝会をやっていて、最初の20分くらいはブレイクアウトセッションで、3人1組で雑談会をしてもらっています。そのやり方を、結構いろいろ工夫しているんです。

本当に雑談だけのときもありますし、先週あったことやしたことを報告してもらったり、皆さんに助けてほしいことを言ってもらうこともある。HEROになるためにFINEが必要であることは普遍的ですが、実現方法は会社ごとの制約に応じて変わってくるので、その制約の中でいろいろと工夫して見出していくことが大切だと考えています。

「幸福の可視化」が資本主義システムを変容させる

そうして約20年かけて積み上げてきた研究成果を、より本格的に社会実装していくべく、矢野さんは2020年6月に新会社「ハピネスプラネット」を設立されました。

幸せのかたちが20世紀型から21世紀型へと大きく変わってきている中で、我々が17年間研究してきた知見をもとに、21世紀にふさわしい、データに基づいた組織経営のかたちを広めていこうと考えているんです。

人々がHEROになれるようにマネージするためのインフラとして、身体運動から幸福度を計測し、「今日はこんなことに注意を向けるのはどうか」といったレコメンドやチーム内での「プチ報・連・相」などを行ってくれるスマートフォンアプリ『Happiness Planet』も開発しました。

アプリはありがたいことにローンチから8ヶ月ほどで、すでに10社以上に、大規模に活用していただいています。会社の立ち上げを決めたのはコロナ禍になる前だったのですが、パンデミックによって一層「予測不能」な時代になりつつある中で、社会全体の仕組みを見直す必要性をいよいよみんなが認識しはじめたことが、後押しとなっているのではないでしょうか。

日立製作所の一部門ではなく「新会社」なのですよね?

はい。日立の「出島」として、大企業でもスタートアップでもない第三の道を作ろう、というコンセプトで設立しました。労務・財務から研究開発、そして採用から営業・マーケティングまで、小さいながらにすべてのファンクションを備えているかたちとなります。

営業チャネルや資源、信用といった大企業の良さは活かしつつ、機動力やアジャイルさといったスタートアップの良さも発揮できる、いわば“いいとこどり”の形態を取ろうと。こうした第三の道が成功すれば、日本にとっても最初の突破口となるのではないかと考えています。

そもそも、日立の研究所は事業化を目的としているところなので、これまでも事業組織を立ち上げる試みは何度かしてきたんです。でも、あまりうまくいかなくて。大企業ゆえの良さもよくわかっているのですが、逆に難しい点もわかってきた。ですから、大企業の一部分ではなく、出島方式にしないとスピードもコミット度も担保できないなと思い、腹をくくりました。新しい事業が成功するには、メンバーが運命共同体であるという意識を持ち、リーダーのコミットも重要です。この出島方式によって、これを実現できる手応えを感じています。

最後に、ハピネスプラネットの活動を通じて実現したい未来像をお聞かせいただけますか?

事業をさらに成長させていき、より多くの皆様のお役に立てるようにしていくのはもちろん、将来的には、メンバーの幸福への投資が生む財務的なリターンを、もっと可視化していきたいと考えています。 人の試行錯誤や学び、成長が企業の利益の源泉になっていることは間違いないのですが、定量的な効果がわかりづらいため、そこに投資する意思決定が取りづらいのが現状です。CHROとCFOが別々にいることからもわかるように、人の幸せと財務が、分離してしまっている。

ですから、幸福への投資が生み出す財務的なリターンを評価する、何らかのアナリティクス手法を開発したい。そうして幸福を財務視点で定量化していくことで、株主や投資家もそこに眼が向くようになり、個社を超えて資本主義システム全体に良い影響が与えられると思うんです。 いまはそうした理想を現実化していく入り口に立っていると思うので、少しずつ前進させていきたいと考えています。

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