事業成長のアイデアは、一人の顧客を深く知ることで生まれる。「SmartNews」急成長の仕掛け人が語るN1分析の重要性|Experience Insights #1
スマートニュースのマーケティング戦略顧問であり、2019年に著書『実践 顧客起点マーケティング』を上梓した西口一希さんに、顧客起点マーケティングのあり方と実践方法について伺いました。
- 西口 一希にしぐち・かずき
- 株式会社Strategy Partners代表取締役/Marketing Force株式会社共同創業者 取締役/スマートニュース株式会社マーケティング戦略顧問
- P&Gジャパンでブランドマネージャー、マーケティングディレクターを歴任後、ロート製薬に入社し、マーケティング本部長としてスキンケア商品の「肌ラボ」などを担当。2015年にはロクシタンジャポンの代表取締役に就任し、2016年のグループ過去最高利益達成に貢献。2017年にはスマートニュースに参画し、クーポンを始め新施策を次々と投入し、2018年にはアプリランキング100位圏外から、iOS・AndroidともにNo.1を獲得。現在は、自身が提唱する「顧客起点マーケティング」のメソッドを元にした顧客戦略構築への戦略調査をMarketing Force社にて多くの企業に提供している。
データを根拠にした意思決定は、論理的で納得感があるものです。しかし、その納得感のために、顧客の心理を置き去りにして、本当にお客様に寄り添うためにやるべきことを見落としてしまっているとしたら…。
P&G、ロクシタンなどでマーケティングを担当し、現在はマーケティング戦略コンサルティングの会社を経営しながらスマートニュースのマーケティング戦略顧問も務め、2019年に著書『実践 顧客起点マーケティング』を上梓した西口一希さんは、「データの裏にある顧客の心理を深く理解することこそ、有効なマーケティング施策の立案に繋がる」と言います。
「たった一人の顧客を深く知ることからすべてが始まる」。こう言い切る西口さんは、実際に一人の顧客へのインタビューから有効な施策を導き出し、事業成長を実現してきました。今回は顧客起点マーケティングのあり方と実践方法について伺いました。
経営者も現場の社員も、顧客を置き去りにしている
西口さんの提唱する「顧客起点マーケティング」は、一人の顧客を徹底的に理解することで事業成長につながるアイデアを抽出し、マーケティング戦略に活かしていくメソッドだと伺っています。なぜ、一人の顧客を理解することが重要だとお考えなのでしょうか。
多くの企業において、経営者も、現場にいるメンバーも、顧客を理解することなしにマーケティングの施策を考えているのではないかと感じるからです。本来、マーケティング施策を考える上で顧客の視点は欠かせません。しかし、多くの企業では顧客が置き去りにされる構造に陥ってしまっています。
顧客が置き去りにされる構造というのは?
様々なことが定量化できるようになり、データを参考に意思決定するケースも増えています。しかし、データに見える部分だけで意思決定していった結果、気づけばその議論から顧客がいなくなってしまうのです。
特に組織が大きい場合、経営者は顧客と接点を持つ機会がありません。そこで、主に売り上げなどのファイナンス指標、もしくはアクセスやコンバージョン数/率などの行動データを見て、経営戦略やマーケティング戦略の意思決定をしていくことになります。
そうなると、現場も「数字に表れるものがすべて」という思考になるので、売り上げや行動データを上げるための施策に明け暮れます。顧客と接する中で大事なインサイトに気付いても、ロジックで説明できないからとないがしろにしてしまうのです。
代わりに、顧客がどう感じるかよりも、数字が変化するか、経営者に納得してもらいやすかを優先して施策を考えるようになります。
マーケティングを企業起点から顧客起点へ
では、顧客を置き去りにせずにマーケティング活動を進めていくためには、どうすればいいのでしょうか。
常に顧客を「起点」にすることです。私が書籍のタイトルに、顧客視点でも顧客志向でもなく、顧客「起点」を選んだのは、それをメッセージとして明確に伝えたかったからです。
「たった一人の分析から事業は成長する 実践 顧客起点マーケティング」
顧客視点や顧客志向と「顧客起点」は、別物なんですね。
顧客視点も顧客志向も、企業の立場から顧客を見ていますよね。目線の矢印が、企業から顧客に向いています。顧客から見たときに自社商品がどう見えるのか、ではなく、どんな見せ方をしたら自社の商品を買ってもらえるのかを考えている状態です。これは「企業起点」の考え方です。
「顧客起点」の場合、矢印は全て顧客からスタートします。自社商品やサービスだけでなく、競合や代替品含めて、全てを顧客の目線から捉え、どう見えているのか、どう感じているのかを深く理解していくことで、自分たちでは気付かなかった商品の独自性や選ばれる理由を見つけられます。結果として現在の自社サービスや商品を否定する可能性すら視野に入れて顧客の本質的なニーズを捉え直すのです。
それこそが、有効なマーケティング施策のアイデアになるんです。
顧客を起点にするための「セグマップ」と「N1分析」
顧客を起点にするべきだという考え方には非常に共感します。顧客起点マーケティングは、どのように実践すればいいのでしょうか。
まずは商品・サービスのターゲット顧客を定義します。ターゲット顧客が誰なのか、何人いるのかを把握しないと、正しく課題を認識できないからです。この定義が抜け落ちている企業は意外と多い。
例えば、「販促施策を打っても売り上げが伸びない」という課題を感じていたとしても、ターゲット顧客を定義できていなければ、そもそも本当に売り上げを伸ばせる状況なのかわかりません。実は伸び悩みではなく市場の頭打ちであって、販促施策ではなく新たな市場の開拓、そのための新商品開発が必要という可能性もあるわけです。逆も真なりで、販売促進策で売り上げが伸びていても、一過性の顧客ニーズしか捉えておらず、本来ターゲットとすべき顧客の離反を許容している場合もあります。この場合、徐々に売上も利益も伸び悩み中長期で深刻な状況に陥ることもあります。
確かに、ターゲットの定義や規模がわかっていないと施策の方向性が大きくぶれてしまいますね。ターゲット顧客の定義ができたら、次は何をするのでしょうか。
ターゲット顧客の中には、すでに商品を購入してくれている人、知っているが買ったことはない人、そもそも商品のことすら知らない人、など、様々な状態の人が存在します。商品・サービスの認知度がどれくらいで、購入経験者はどれくらいいるのかといった全体像を把握し、マーケティング戦略を考えるためのフレームが、「5セグマップ」「9セグマップ」です。
引用元:https://www.shoeisha.co.jp/book/campaign/kokyaku
5セグマップでは、認知の有無、購買経験の有無、購買頻度によって、顧客を「未認知顧客」「認知・未購買顧客」「離反顧客」「一般顧客」「ロイヤル顧客」の5つに分類します。
5セグマップは、主にマーケティングの投資戦略を決めていくときに活用するフレームワークです。このセグマップをベースに、どの顧客層に投資するとどの程度の売り上げを見込めるのかを考えていくことで、効率的なマーケティング投資が可能になります。
引用元:https://www.shoeisha.co.jp/book/campaign/kokyaku
9セグマップは、5セグマップにブランド選好(次回も同じブランド、商品を買うか)の軸を加え、「未認知顧客」以外を「積極」「消極」に分けた、より詳細な顧客分類です。
9セグマップの左から右へ、下段から上段へと顧客を移動させていくことがマーケティングの役割であり、どのセグメントの顧客をどう動かしていくかの計画がマーケティング戦略だといえます。
また、定期的にセグメント構成を調査し、その変化を見ることでマーケティング施策の効果を測定できます。
5セグマップ/9セグマップは、マーケティング戦略の立案と効果測定に使えるんですね。「たった一人の顧客を深く知る」のは、この後のステップになるのでしょうか?
その通りです。9セグマップの右上へと移行してもらう施策を考えるために、顧客の声を聞き、顧客の解像度を高めていきます。顧客自身の購買行動とその背景にある心の動きを理解することで、顧客を動かすアイデアが見つかります。
例えば、プレゼントを選ぶとき、自分が知らない1,000人向けと、親しい1人の友人向けなら、後者のほうが何を贈れば喜んでくれるかイメージが湧きますよね。同じようにマーケティングでも、一人の具体的な顧客を思い浮かべたほうが、人の心を動かす商品や訴求方法を考えられるでしょう。
たった一人に深く刺さるものは、実は同じセグメントに属するの他の顧客にも深く刺さる。結果として、有効なマーケティング施策が打てるわけです。
たった一人の顧客の声を聞き、理解を深めることを「N1分析」と呼び、「顧客起点マーケティング」の重要な要素としています。
N1分析の結果、顧客に寄り添ったマーケティング施策を立案できた例を教えてください。
では、ロクシタンでN1分析をしたときの例を紹介しますね。
そのときは、売上げ向上のアイデアを考えるために複数の顧客にお話を伺ったのですが、購入者の実に8割がギフト目的でした。本社内で幹部に話を聞くと、全員が、ギフト向けの売上は2−3割程度だとか答えていたのですが、実態は全く違った。現場で毎日、顧客に接している各店舗の店長にヒアリングしても「ほとんどがギフトですよ」と返ってきました。いかに、現場の顧客実態が見えていなかったかということですね。
そこでギフト需要を取り込むための商品を開発。ミニサイズのハンドクリーム数種類をセットにしたものなどを販売したところ、大ヒットしました。
また、「プレゼントされて、使ってみたらよかったので、自分でも購入するようになった」という顧客も多かったため、商品を試してもらうきっかけとしてプレゼント目的の購入者にスキンケア用品のサンプルをお渡しするようにしました。その結果、サンプルをきっかけに自分用にも買ってくださる方が増えたんです。
このように、話を聞くことで初めて「本当の顧客の姿」を知ることができ、必要とされているもの、お客様に喜ばれるものが見えてくるようになります。
「N1分析」で顧客理解を深め、マーケティングアイデアを得るためのポイント
N1分析の必要性は納得できる一方で、一人の顧客の声をもとにマーケティング施策を決定していくのは難しいように感じます。それこそ、経営層の理解を得られないのではないでしょうか?
おっしゃるとおりで、ミクロなN1分析だけでは施策に投資するかの意思決定はできません。N1分析の結果をマーケティング施策の根拠とするには、意思決定者が判断基準にできるようなマクロのデータと接続させる必要があるのです。
意思決定者にはN1分析の結果だけを伝えるのではなく、その顧客がどのセグメントにいて、同じセグメントにどれくらいの顧客がいるのか、その中で施策の効果を期待できるのは何%くらいか、9セグマップの調査結果と、施策案をテストした結果などをデータで示しましょう。
マクロなデータと合わせてN1分析の結果を共有すると、1人の顧客を起点にしながら顧客全体について議論でき、現場の感覚と意思決定者の判断を接続できます。
弊社にもN1分析に取り組んでみたメンバーがいるのですが、実際にやってみたところ、インタビューを通じて顧客の解像度を上げるのが難しいと話していました。
難しいですよね。すぐに実践できるコツとしては、N1分析の対象者がどのセグメントに属するのかを把握してからインタビューを進めることです。
セグメントを把握するだけで、質問のポイントをかなり絞れます。例えば、5セグマップの離反顧客に属する顧客に質問するなら、自社の商材やサービスをかつて購入したにも関わらず、なぜ今は購入しないのか、代わりに何を買っているのかを聞いてみる。そうして行動とその裏にある心理的要因を深掘りしていくのが効果的です。
最初にセグメントを明確にする以外に、N1分析で心がけるべきポイントはありますか?
より良いN1分析をできるようになるために大切なのは、目的意識を持ちながらインタビューすること、そしてN1分析をやり続けることの2つです。
顧客に何を聞いたらいいのか、決まった正解はありません。ですが、「この方はどんな気持ちで商品を買っているんだろう」「どんなときにブランドを好きになるんだろう」と、知りたいことを明確に持って相手と向き合う。企業起点ではなく、顧客起点で質問を考えること。N1分析を続けていけば、顧客の理解も高まり、自ずと質問の精度は上がっていくと思います。
行動データの背景を掘り下げることで顧客起点のマーケティングを
顧客の行動の背景にある心理を理解するのが大切だというのは理解できたのですが、一方で今は顧客の様々なデータを取得して統合的に見られます。膨大なデータがあれば、顧客を理解できると考える人も多いのではないでしょうか。
行動データのほうが見えやすいですからね。しかし、行動データの裏にある心理を考えないと、顧客にとって一番心に残るアイデアの種を見落とす可能性があります。
例えば、A/Bテストなら、AとBを比較してコンバージョン率が高いAを選んで、また新たなパターンと比較して…と進んでいきますよね。ここで重要なのは「なぜAのほうが数値がよかったのか、Bはなぜダメだったのか」の顧客起点での心理的な理由の掘り下げです。
数値の背景にあるものを考えることで、初めて顧客のインサイトに近づけます。その結果、AでもBでもない、ベストなXが出てくるかもしれません。
重要なのは、顧客を置いてきぼりにして企業の視点で商品を捉えるのではなく、常に顧客起点で考えること。トラッキング可能な行動データと、地道なN1分析から得られた顧客心理の両方を組み合わせ、自社にしかないアイデアを見つけ、経営とマーケティングに活かしてほしいですね。