CX Story

すべてを顧客起点で考える。アマゾンやAWSの「ワーキング・バックワーズ」とCX Bar Raiserという役割

アマゾンでは「顧客起点」をどう実践しているのか、そしてAWSのDX支援においてはどのように活かされているのか。アマゾン独自の役割であるCX Bar Raiserを2011年より務めるアマゾン ウェブ サービス ジャパン デジタルイノベーション・リードの松本さんに伺いました。

「BtoBでも、クライアント企業の先にいるお客様にどう喜んでいただくかを考えています」

世界で最も包括的で広く採用されているクラウドプラットフォーム「アマゾン ウェブ サービス」(以下、AWS)でデジタルイノベーション・リードを務める松本肇子さん。AWSを活用した企業の課題解決、そしてDX推進を担う中で、創業期から貫く「顧客起点」があらゆる支援の指針になっていると語ります。

松本さんは、アマゾンジャパン立ち上げ時にブックエディターとして入社。2011年には、世界に数十人しかいないCX領域の質を引き上げるアマゾン独自のポジション「CX Bar Raiser」に就任。ここ数年は、AWSにおいて主に金融業界で、“クライアント企業の顧客起点への転換”に尽力しています。

アマゾンでは「顧客起点」をどう実践しているのか、そしてAWSのDX支援においてはどのように活かされているのかを伺いました。

顧客の喜ぶ姿から逆算する考え方の徹底

アマゾンでは、創業期から「顧客起点」を大切にしているそうですね。どういった考え方なのでしょうか。

アマゾンには「Start with customers and work backwards」という考え方があり、私たちの顧客起点の姿勢そのものです。

「Start with customers」とは、顧客を起点に始めること。そして「work backwards」は、逆から進める、という意味です。一般的に、企業活動は“企業から顧客へ”と進められますが、その矢印を逆にするのです。

新しく商品やサービスを企画する際、まず考えるのが、どのようなお客様がいらっしゃるのか、そしてどのような困りごとやニーズを抱えているのか。そして、どうやってその困りごとを解決し、どうすれば喜んでいただけるのか。必ず最初に「困りごとが解決されて喜ぶお客様の姿」を想像し、そこから逆算して、今やるべきことを考えるのです。

アマゾンのミッション「地球上で最もお客様を大切にする企業であること」を実践するための仕組みとして「ワーキング・バックワーズ(遡って取り組む)」があるのです。もともと米国本社で進められていたものが、2010年ごろからグローバル全体で徹底されるようになりました。

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松本肇子 まつもと・はつこ
アマゾン ウェブ サービス ジャパン デジタルイノベーション・リード
毎日新聞社を経て、2000年7月、アマゾン ジャパンのローンチ時にブックス チームのエディターとして入社。メディア商品、家電やファッションなど新ストアの立ち上げに参画のほか、アマゾン初のサステイナビリティプログラムAmazon Greenを担当。マーケティング、プロダクトマネージメント業務を通じ、一貫してカスタマーエクスペリエンス向上に従事し、2019年より現職。また2011年より「CX Bar Raiser」を務める。

2010年前後というと、ネットが幅広い年代に浸透し、アマゾンの顧客層も商品の種類もどんどん広がっていたころですね。

まさに、そうですね。アマゾンも会社として急激に大きくなり、全世界で従業員数も相当な規模になっていたと思います。そうなると、思想を共有するだけでなく、再現性のある仕組みも必要になりますね。

顧客から考えていくこと自体は、そう珍しくないかもしれません。アマゾンが特徴的なのは、それを文書を使いながら全社で徹底的に実践しようとしていることだと思います。

何よりもプレスリリースを最初に書く

「ワーキング・バックワーズ」は、具体的にどのように実践されているのでしょうか。

たとえば、新しい商品やサービスを世の中に送り出すときには報道機関向けにプレスリリースを書きますが、私たちはそれを、社内ステークホルダーに対して商品やサービスを起案する時点であたかも社外向けの文書の位置づけで書いています。

起案の時点でリリースを? まだ、何もない状態ですよね。

はい(笑)。不思議に思われるかもしれませんね。プレスリリースは商品やサービスについて「どのようなお客様」に「どのようなメリットがあるのか」を端的に表現する文書です。そうでないと、初見の報道機関の方にニュースバリューが伝わりませんし、その記事を読む読者にも届きません。そこでアマゾンは、このプレスリリースのフォーマットを使って、起案時点で「この商品・サービスはこんなふうにお客様の課題を解決できる」とシンプルにまとめ、「お客様に提供する価値」を明確にするのです。

たしかに。考えてみればメディアや一般の方にとって、プレスリリースが最初の顧客接点だとも言えますね。そこから考えていく、と。

そうです。プレスリリースはなかなか合理的な文書だと思います。まず、このサービスがお客様の体験をどう変えて、どんなベネフィットがあるのかをA4一枚に簡潔にまとめます。最初に用意するプレスリリースをもとに、着手するかどうかをリーダーが意思決定するので、すべての活動においてプレスリリースを経なければ前に進まない仕組みになっています。

商品やサービスを開発するとき、つい、プロダクトアウトで考えてしまうことが多いですよね。こんな最新の技術があるから、競合に先んじて使いたい、など。ですが、それは「顧客起点」の発想ではありません。

冒頭でお話ししたように、具体的なお客様とその課題やニーズをつかみ、それが満たされて喜んでいらっしゃる姿を想像するところを起点に「何をすべきか」を考えるのです。

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アマゾン ウェブ サービス ジャパンの目黒オフィスにて。都内に計3カ所のオフィスを有し、50カ国近いスタッフが勤務する。

アマゾン独自の役割「CX Bar Raiser」

着地点の理想像を、最初に具体的に描くのですね。

ええ。この時点でのプレスリリースはあくまで社内検討用ですが、ユニークなのは社内向けのFAQも準備することです。事業はさまざまな関連部署と一緒に進めますが、企画を進めるにあたって、意思決定者や関連部署からどんな質問があるのかをあらかじめ想像し、それらに対する答えを考えるのです。

たとえば、経営や技術に関する検討事項なら、財務や開発担当からも意見をもらいます。「なぜ今アマゾンあるいはAWSがそれをやるべきか」や「それはお客様が必要としているのか」「開発コストは?」「収益性は?」などの社内で聞かれそうな質問、聞かれたくない質問も入れておく。これらは意思決定の際に必要になりますし、あらかじめ準備をしておけば、自信をもって前に進めることができます。また、目指すところを皆で共有でき、開発に向けての連携もスムーズに進みます。

私がアマゾンのFashion事業に在籍していた際に新たな返品方法を提案し導入した際は、返品のオペレーションや物流センターに関わる質問と回答も用意しました。

もちろん、いったん書いたら終わりではなく、多様な視点で何度も議論し、推敲していく。どうすればより強いアイデアにできるか、実現に向けて皆で知恵を出し合い、より良い意思決定を行うためのプロセスなのです。また、プロトタイプをつくって何度も検証し、最終的に顧客に提供する商品やサービスの質を引き上げていきます。経営から開発、マーケティング、ロジスティクスに至るまで考え切るから、実現するために何をどの順番ですべきかが見通せるのです。まさに「逆向きに取り組む」を体現するプロセスであり、このプロセスを徹底的に行うことまで含めて、ワーキング・バックワーズの仕組みなのです。

また、私が2011年に拝命した「CX Bar Raiser」という役割も、ワーキング・バックワーズの実践を支える仕組みの一つです。ちょうど、アマゾンが事業的にも組織的にも急拡大していた時期ですね。

CX Bar Raiserの役割についても詳しく教えてください。

前提として、アマゾンには複数の領域で「Bar Raiser」という役割を設けています。ある領域の質を一定水準に維持し、引き上げていくことが任務です。有名なのは、採用に関するBar Raiserですね。

Bar Raiserは一般的な企業における部長や課長といった「役職」ではないので、承認やジャッジを下すことはしません。最終的に意思決定をするのは、あくまで採用責任者やプロジェクトのリーダーです。

CX Bar Raiserに求められる役割は、社員が顧客起点で、よりよい意思決定をするための議論をファシリテートすることだと捉えています。プロジェクトのチームがより良い議論をし、より良い判断ができるよう思考を引き出し、議論を導きます。前述のプレスリリースに対しても、お客様が誰なのか、お客様は何に困っているのか、そのプランで本当に喜んでもらえるのか、など問いかけたり、検討が足りなさそうなポイントをアドバイスしたりします。

ちなみに今、日本には何名くらいいるのですか?

具体的な人数は公表できないのですが、おもしろいのは、あえて自分が慣れていない、本業とは離れた領域を担当するんですね。なので私もBtoCの事業部にいたときはBtoBやオペレーションなどをフラットな視点で見ていましたし、今は逆にBtoC事業を担当することが多いです。

ただ、結局BtoB事業であっても、私たちが相対する取引先企業のベネフィットはその先の「C」のお客様に喜んでいただくことです。BtoBtoCになるわけですから、常にエンドユーザーであるCのお客様を意識するのは鉄則です。

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AWSは顧客課題や提供すべき価値の発見から支援する

松本さんが携わっているAWSでは、どのように「ワーキング・バックワーズ」を実践されているのでしょうか?

AWSでは、クラウド上でコンピューティングや機械学習、人工知能(AI)など200以上の便利なサービスを提供しています。ですが、それらはあくまでもAWSのお客様が課題を解決したり、新たな価値を生み出したりするための手段です。私たちは、AWSをご利用になるお客様が「その先のエンドユーザーの方々にどう喜んでいただきたいのか、そのために何をする必要があるのか」を明らかにしていくプロセスから伴走したいと常に考えています。

そのために、AWSでは「デジタルイノベーション プログラム」(以下、DIP)と呼ばれるワークショッププログラムを提供しています。これは、AWSを活用するお客様に私たちの「ワーキング・バックワーズ」に則ったイノベーション創出のプロセスを体験し、実行していただくものです。

アマゾンやAWSが実践していることを踏襲してもらうのですか?

そうです。ワークショップでは、AWSのお客様である企業と一緒に「エンドユーザーは誰か」「課題は何か」「どんなベネフィット/顧客体験をお届けできるか」を徹底的に考えて、プレスリリースを作っていきます。

できるだけ早い工程で、技術系やデザイン関係の方に入ってもらうと、多様性のある議論ができます。立場を超えて皆さんに「顧客起点」の思考が身に着き、意見が活発に交わされるようになると、組織としても健全になっていく。これは、私がお客様と話をしていて得られた良い気づきでした。

DIPから、どのような顧客起点のサービスが生まれているのでしょうか。

たとえばイーデザイン損害保険株式会社と実施したDIPからは、「私のタントウシャ」というサービスが生まれました。自動車事故の際、AIを使ってユーザーに合った担当者をマッチングするものです。「事故に遭ってしまったユーザーと担当者の心理的負担を軽減したい」という社員の方の思いから、アイデアが生まれました。実際に、事故対応アンケートで9割以上のユーザーから高い評価を得ています。

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良質な「問い」を投げかけ、対話する

そのような顧客の体験をより良くするイノベーションを生み出すために、何がポイントになりますか。うまくいく企業と、なかなか難しい企業の差は?

まずは、リーダーの強い意志が左右すると思います。DIPの実施期間は企業によって異なりますが、大抵は3、4カ月ほどかけて行います。企業にとっては大きな投資ですよね。リーダーが本気で新たな価値創出やDXに取り組みたいと思っていないと、実践に結びつかず、クライアント企業にとって不幸な結果しか生まれません。「絶対やるのだ」というトップのコミットメントを事前にしっかり確かめたうえで、プログラムを始めます。

もうひとつのポイントは、いい課題が見つかるかどうかです。イーデザイン損保さんの場合だと、事故発生後に電話をするユーザーもそれに対応する担当者も、とてもストレスがかかることが多かった。それをどうにかしてあげたい、という喫緊の困りごとだったのです。こうした課題が見つかれば、新たな商品やサービスは、8割成功したと言ってもいいくらいです。

ですので、取り組むテーマの設定に悩んでいる場合は、「直近の業務で時間がかかっていることは?」「不便を感じることは?」とか「今うまくいっていないプロジェクトはありますか?」と問いかけることが多いです。喫緊の課題が見えてきたら、どのような人が関わっているのか、解決したら誰にどのようなインパクトがあるのか、様々な角度から問いを投げかけながら解決の糸口を探っていきます。

今、社内でデジタルを活用したイノベーションを推進したくても、うまく進められていない企業は少なくないと思います。そういった企業にどのようなアドバイスをしていますか。

まずはやってみましょう、小さく始めましょうと伝えています。日本企業、特に私が向き合っている金融業界は、商品の特性や規制などから「失敗してはいけない」という思考がどうしても強いです。でも、今は業界にどんどん新興企業が参入していて、動かないままではあっという間に後れてしまいます。

小さく始めれば失敗しても損失が少なく、何かしらは気づきを得られて、次のステップにつながります。アマゾンという会社も、そうやって成長を続けています。

ただ、ここで大事なのは、顧客に届ける価値を見極めることです。

たとえばアマゾンの電子書籍リーダーのKindleも、最初はもっと大きくて重たく、使い勝手のいいものではありませんでした。しかし、長い目で見て、ユーザーが1分足らずで書籍をダウンロードして、すぐ読み始めることができるシンプルさが受け入れられると確信していました。その価値を信じて、今でもプロダクトを磨き続けています。

はじめに設定した「顧客に届けたい価値」が、間違っていることもあるかもしれません。そういう場合は「本当はこういう人に届けるといいのでは?」とずらしてみると別の可能性が見えてくる場合があります。でも、それも最初の仮説をつくってみないとわかりません。ですから、プレスリリースでも何でも、まずは書いてみる、表現してみることはとても大切だと思います。

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常に主役はお客様。アマゾンやAWSの「謙虚」であろうとする姿勢

AWSとして、今後お客様である企業やエンドユーザーと、どのような関係を築いていきたいとお考えですか?

大切なのは、クライアント企業の作り出すサービスが、必要としているエンドユーザーにしっかりと届くことです。私たちは、より良い機能やサービスを、なるべく早く生み出していくためのお手伝いをしていると捉えています。アイデアを着想する部分はもちろん、それを正しくエンドユーザーに提供するマーケティング、安定的で負担がかからずにサービスを維持するオペレーションも含め、しっかりと支援していきたいです。

22年間アマゾンで働いてきて、この会社では常に「お客様や商品が主役」なのだなと感じています。

アマゾンのサイトデザインも、商品そのものをいかに目立たせるかを重視しています。大げさな宣伝文句を並べたり、過度に装飾を加えたりしなくても、商品そのものに力があると信じている。それがエンドユーザーに伝わることが第一だと考えるんです。

それから、今後は企業活動やそれに伴うオペレーションが地球環境に配慮されたものであることも、より大切になってきていると感じます。そうした配慮がなされたサービスを選びたい、という方も増えています。もちろんアマゾン自身が、サステナブルな企業運営を実現するためにやるべきことも無数にあります。その部分も試行錯誤しながら、クライアント企業への支援に反映していけたらと思っています。

お客様が喜ぶ姿から逆算して、さまざまな観点でクライアント企業がよりよい意思決定ができるようファシリテートしていく。AWSでの松本さんの姿勢は、CX Bar Raiserの役割と符号しているように感じました。

そうですね。ファシリテートすることが好きなのかもしれません。アマゾンの社内ではよく「Humble(謙虚)」という言葉をよく使うんです。主役は私たちではなくお客様なのだから、謙虚でありましょう、と。私もその気持ちを忘れず、お客様の優れた商品やサービスによって、人々の暮らしが便利に楽しくなることをお手伝いしていきたいと思っています。

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