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「サービス・ドミナント・ロジック」とはなにか。サービス・マネジメントの専門家と共創する顧客体験を考える

「サービス・ドミナント・ロジック」に基づいて顧客と新たな関係を構築していくためには何が必要なのか。一橋大学大学院の藤川佳則准教授に聞く。

藤川佳則ふじかわ・よしのり
一橋大学大学院 経営管理研究科 国際企業戦略専攻 准教授
専門はサービス・マネジメント、マーケティング、消費者行動論。一橋大学経済学部卒業、同大学院商学研究科修士。ハーバード・ビジネススクールMBA(経営学修士)、ペンシルバニア州立大学Ph.D.(経営学博士)。ハーバード・ビジネススクール研究助手、ペンシルバニア州立大学講師などを経て現職。米国・イェール大学経営大学院、スイス・ローザンヌホテルスクール(EHL)、トルコ・コチ大学経営大学院、韓国・ソウル国立大学ビジネススクールでも教鞭を執る。主な著作に『マーケティング革新の時代』(共著、有斐閣)、また『マーケティング・ジャーナル』や『Harvard Business Review』などに執筆。経済産業省「IoT推進ラボ 先進IoTプロジェクト選考会議」委員ほか、官公庁の委員や複数の民間企業のアドバイザーを歴任。

今、顧客と企業との関係性が大きく変わりつつあります。モノやサービスを”購買してもらって終わり”ではなく、購買の前後を含めて顧客と企業が常につながりながら、価値を共創し、良質な体験を生み出し続ける……という形です。

例えば、ナイキのランニング支援の仕組み「ナイキプラス」は、靴の販売時点に留まらない、靴の使用段階において顧客がとる行動に基づく価値共創を可能にしました。また、建設機械を手掛けるコマツは、ブルドーザーやショベルカーのいたるところにセンサーを取り付けてネットワーク化し、建設現場における燃料費用の低減や作業効率の向上などを通じて継続的に価値を共創しています。こうした事例は年々増加し、モノ中心型からサービス中心型の事業への転換が加速化しています。

こうしたビジネス転換の背景にあるのが、モノとサービスを区別せず、経済活動のすべてをサービスと捉える「サービス・ドミナント・ロジック」という考え方です。

「サービス・ドミナント・ロジック」とは、具体的にはどういうことなのか、また、この発想をもって顧客と新たな関係を構築していくためには何が必要なのか。サービス・マネジメントの専門家である一橋大学大学院の藤川佳則准教授に尋ねました。

「変わりつつある世界を理解するには、レンズを掛け替えることが必要」と藤川先生は語ります。顧客との新しい関係のあり方を理解し、よりよい顧客体験をつくるための大いなるヒントを聞きました。

サービス・ドミナント・ロジックという考え方

顧客と企業の接点が、モノやサービスの売買時点にとどまらず、その前後も含めて継続的につながるようなビジネスが着々と増えています。これらは「サービス・ドミナント・ロジック」で読み解くことができる……と聞きますが、どういった内容でしょうか?

従来、経済や経営は、企業がモノやサービスを生産し、販売時点における市場交換を通じて顧客に価値を提供するという「グッズ・ドミナント・ロジック」(以下、GDL)に基づいて理解されてきました。

「サービス・ドミナント・ロジック」(以下、SDL)は、すべての経済・経営活動をサービスとしてとらえる論理であり、価値は顧客と企業が共創する、という世界観です。ご指摘のように、最近、SDLの世界観にたって事業に取り組む企業が増えています。SDLの実践を模索するなら、そうした現象を表面的に捉えて真似るのではなく、その背景にあるロジックに着目し、深く理解することが大事だと思います。

ところで、「ドミナント・ロジック」とは、直訳すると「支配的論理」ですが、人々が共有する世界観、世界についての共通の見方や考え方、認識の仕方を指します。それは明示されずに暗黙のうちに共有している場合も多く、わたしたち自身、気づかないうちに特定の論理に即して物事を見たり、考えたり、行動したりします。支配的論理が「支配的」と称されるゆえんです。

SDLの理解のためには、何を変えなければいけないのでしょうか?

必要なのは、「価値づくり」のレンズを掛け替えることです。わたしたちの多くが知らず知らずのうちにかけてしまっているレンズがGDLです。しかし、それを掛けたままでは、いかなる努力を講じても、いつまでたってもGDLに基づく価値づくりの機会や課題しか見えてきません。

SDLという異なるメガネに掛け替えることで、SDLの世界観にたった価値づくりの可能性を捉えることができるようになります。さらに、いまは両方のロジックに基づくビジネスが混在した状態のハイブリッド型、モザイク状の経済・経営環境なので、異なるレンズを掛けたり、外したり、また掛け替えたりながら、様々な機会や課題を模索することが有効ではないかと思います。

GDLとSDLの違いについて、学説的には様々な公理や前提が提唱され、議論が進んできているのですが、ここでは大きく次の三つに焦点をあてて説明してみたいと思います。
1.サービスの定義
2.価値をつくる主体
3.顧客像
です。

1つ目から教えてください。サービスの定義が違うということは、GDLもSDLも”サービス”を捉えるけれど、その捉え方が違うということですか?

そうです。サービス・マーケティングやサービス・マネジメントの研究分野では、価値づくりのロジックが変わりつつあることは以前から指摘されてきました。その初期の頃には、「モノとサービスを分けよう」という前提で議論が進みました。モノとサービスの差異を明確にすることで、サービス固有の経営課題を見出すことができる、そしてそれを解決するための理論を構築しようとしていました。

ただ、いまから振り返ると、モノとサービスをわけるところから出発している以上、どこまでいってもGDLの考え方でした。これでは限界がある、それを超える捉え方が必要ではないかという議論が2000年代半ばから始まりました。GDLでは、サービスは「モノ以外の何か」と定義されるのに対して、SDLでは、サービスを「他者あるいは自身の便益のために、行動やプロセス、パフォーマンスを通じて、自らの能力(知識やスキル)を活用すること」(Vargo & Lusch, 2004) と広く定義し、すべての経済活動をサービスとして捉えます。これが、サービスの定義の違いです。

先ほどレンズの話をしましたが、「レンズ1」をかけるとGDLの世界が見え、「レンズ2」をかけるとSDLの世界が見えるとします。ほぼすべての企業や、経営学や経済学でも、長らくレンズ1を掛けて世の中を見てきました。するとモノとサービスは区別されているのですが、レンズ2を通した世界では、経済活動のすべてをサービスとして見ることになります。

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レンズを掛け替えることでみえるSDLの世界

レンズ2に掛け替えると、世界をどのように見ることができるようになるのでしょうか?

これまでの「モノを売るか、サービスを売るか」という分け方ではない、「モノを伴うサービスか、モノを伴わないサービスか」という区別が見えてきます。

たとえば、「モノを伴うサービス」の例としては、ナイキのランニング支援の仕組み「ナイキプラス」があります。ナイキのセンサー内蔵シューズや靴ひもにつける専用センサーと、アプリを連動させてランニングすると、走行距離やルートを把握できるサービスですね。

また、コマツの車両遠隔管理システム「KOMTRAX」は、全世界のコマツの建設機械をネットワーク化し、効率的な稼働や異常な作動の管理、稼働データの分析による知見の提供などを可能にしています。本来であれば、製品購入後はその所有者となった顧客企業が行うはずの車両管理業務が部分的にコマツに外部委託される格好となります。したがって、同社は「モノを伴うサービス」を提供し続けることになります。

もともと、モノを販売していたメーカーが、モノを伴うサービスを提供するようになっているのですね。

そうです。こうした、製造業の「サービス化」や「サービタイゼーション」という現象と並行して、従来的なサービス事業者が、SDL型の価値共創のためにモノの事業を手がける動きもあります。GoogleのGoogle Glass、AmazonのAmazon Echo、ソフトバンクのPepperなど、すべてそうですね。目指しているのはそうしたモノの販売による利益の最大化ではなく、モノを介してお客様とつながることによるデータ取得やプラットフォームの構築であったりします。

モノを伴うサービスについて、だいぶイメージができました。「モノを伴わないサービス」はどのようなものになるのでしょうか?

「モノを伴わないサービス事業」についても、レンズ1とレンズ2でそれぞれ見ることができます。天気予報を例にとると、気象庁の天気予報はGDL型といえるかと思います。気象庁が日本全国からデータを収集し、分析し、発表する、ユーザーであるわたしたちはそれを受け取り、利用する。気象庁が価値を生産し、生活者が消費する。価値づくりが一方向的です。

一方で、全く異なる価値づくりの論理に基づく気象情報サービスもあります。日本発で、世界最大の民間気象情報企業となったウェザーニューズ社が展開する「ウェザーニュース」です。桜の開花予報を共創する「さくらプロジェクト」への参加者や、「ゲリラ雷雨防衛隊」といった協力者を全国から募り、彼らが空の様子の写真や情報を同社へ随時シェアしているので、細かく局所的な予報の提供も可能になっています。

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顧客と企業が共創する「使用価値」・「文脈価値」

「価値づくり」という言葉がありましたが、2つ目の「価値をつくる主体が違う」とは、どういうことでしょうか? 例えばナイキプラスやKOMTRAXでも、価値を提供しているのは企業という見方もできるのでは?

SDLは、企業は価値を提案することができても、企業だけで価値を創造することはできない、企業と顧客(またはそれ以外の主体)が共同で創造する、という世界観です。

価値創造に関して、わたしたちが知らず知らずのうちに掛けているレンズのひとつに「バリューチェーン」があります。モノやサービスが顧客の手にわたった時点が価値づくりの終点であり、価値が最大化するという考え方が反映されています。したがってそこから先は空白です。

バリューチェーンは「レンズ1」のひとつとも言えます。1985年にMichael Porterが書いた「競争優位の戦略」で紹介されたフレームワークなので、たとえるならば、35年もののメガネを掛けているようなものです。もちろんいまでも十分に利用できる場面がある一方で、このレンズだけではとらえることができない機会も広がりつつあります。

35年前につくったメガネをかけたまま、いまの世界を見てしまっているのですね。

はい。モノやサービスの販売・購買時点で発生する価値を「交換価値」といい、GDLでは交換価値の最大化を目指すことになります。一方、SDLも「交換価値」は捉えますが、むしろ顧客と企業がやりとりを続けることにより生まれる価値、「使用価値」や「文脈価値」が重要です。

例えば、顧客がナイキのシューズを履いて走れば走るほどランニングデータが蓄積し、後で自分の走行履歴を振り返ることができたり、他のナイキプラスユーザーの走行ルートを参照することができたりします。これが使用価値ですね。また、全く同一のナイキのシューズでも、それを履いて走るランナーの背景や能力、ランニングの環境や状況によって大きく異なるので、共創される価値も顧客がおかれた文脈によって異なることになります。これが文脈価値です。

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第三のレンズで見えるマルチサイド・プラットフォーム

サービスの定義、価値をつくる主体について、GDLとSDLの違いを伺ってきました。では、さらに3つ目の「顧客像が違う」とは、どういう意味ですか?

GDLでは、顧客は企業が生産した価値を消費する「消費者」であり、企業活動の対象としての客体として捉えられます。一方、SDLでは、消費者であると同時に生産者としての役割も担います。企業活動の客体にとどまらず、企業と協業して価値を共創する主体として捉えられます。

この価値共創主体としての顧客をひとつの市場に限定せず、複数の市場に対象を拡大することで、「マルチサイド・プラットフォーム」(以下、MSP)を価値づくりの観点から捉えることができます。ここまでレンズ1と2を紹介しましたが、MSPをSDLの延長上にある考え方として位置づけて、「レンズ2」を重ねると「レンズ3」のMSPの世界が見えてくる、といったイメージですね。

MSPの例としてわかりやすいのは、Airbnbです。これは、家を貸したい人、家を借りたい人という双方がいて初めて成り立つ仕組みです。ここでの両者は、それぞれ資源や能力を提供しながら、メリットを享受するという関係が成立しています。もはや「サービス提供者/享受者」という関係ではなく、誰もが価値創造を担う主体=”アクター”であるので、SDLの議論では、BtoCでもBtoBでもなく「AtoA」と表現されます。

こうした仕組みにおいては、バリューチェーンのような「価値づくりには終点がある」という前提をおいていません。世の中のアクセス可能な資源をすべて視野に入れ、それらを星座のようにつないで価値を生み出しているので、「価値連鎖」(Value Chain)ではなく「価値星座」(Value Constellation)ともいわれます。

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こうなると、レンズ2のSDLから何がどう進化するのでしょうか?

アクターを招き入れる市場(サイド)の数を限定せず、増やすことができます。その数だけ「どこで価値を生むか」=価値創造と、「誰に課金するか」=価値獲得の選択肢も増えるので、価値づくりの多様性と可能性が格段に広がります。

例えばAirbnbがある程度広がった段階で、「行ってみたら話が違う」「部屋を貸したら汚された」といったトラブルが出てきました。そこで第3のアクター、保険会社の登場です。また、旅先では観光もし、地元のレストランにも行きますので、観光業やローカルビジネスもアクターに加わりました。Airbnbは各アクターそれぞれと共に異なる価値を共創し、それぞれに課金の是非とその選択肢を組み合わせることで事業展開しています。

サービスの展開とともに、価値を共創するアクターが増えていくのですね。

そうですね。国内での好例は、ネスレ日本の「ネスカフェ アンバサダー」です。同社はコーヒーマシンをオフィスや団体に貸与し、飲料カプセルに課金する仕組みを確立していますが、2017年から機器をIoT化し、データ分析による知見をユーザーへ還元するだけでなく、第三者企業にこのネットワークをオープン化しました。

例えばファンケルが、ネスレ日本とともに”健康寿命の延伸に貢献する”ことを目指して、栄養成分を多く含む抹茶やスムージーのカプセルの生産・販売を始めました。これをMSPの観点からみると、ネスレ日本にとっては、最終ユーザーだけでなく、カプセルを生産・販売する企業もアクターであり、それぞれに異なる価値を共創し、異なる課金機会を生み出しています。

このように、GDLの世界観では競合相手であった他企業が、SDLやMSPの世界観では価値共創を担う協力者や課金対象としての顧客になる可能性もひろがります。また、企業アクターへの送客やデータ提供で課金できれば、個人アクターへの課金を減らしたり、課金しないという選択肢もでてきたりします。

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アナログでもマルチサイド・プラットフォーム:「ライフストロー」の事例

レンズ1をレンズ2に、さらにレンズ3に掛け替えることで、新しい価値づくりの形を考えられるのですね。では具体的にSDL型、MSP型のビジネスでは、顧客体験はどう変わるのでしょうか?

価値づくりのレンズを掛け替え、交換価値と使用価値を分けて考えられるようになると、顧客あるいは各アクターが享受する体験はより豊かになり、複合的になっていきます。

まず、前述のように継続的に価値共創が行われるので、時間軸が発生します。それから、レンズ1では顧客に「交換価値」を認めてもらい、それに対して課金する、という選択肢しかありませんが、レンズ2では、「価値創造」の軸において、顧客に認めてもらう価値として「交換価値と使用価値のどちらを最大化するか」という2通りがあり、「価値獲得」の軸においても、「交換価値と使用価値のどちらに課金するか」の2通りがあるので、その掛け算で4通りの可能性が生まれます。さらに、MSPではこの4通りに市場(サイド)の数を掛けた数の選択肢が生じることになります。

価値についての考え方が多層化していきますね。

そうですね。具体例を挙げると、スイスのべスターガード社が開発したストロー型携帯浄水器「ライフストロー」がわかりやすいかと思います。日本でもAmazon等で1本2500円程度で買えますが、きれいな水に困っていない日本ではアウトドアや災害時など非日常にしか使用シーンがなく、おのずと事業規模は限定的になってしまいます。

べスターガードは、これをケニアなどの飲料水確保に苦労する生活者に2011年から無料配布し、これまでに累計で500万本ほどを配布したといわれています。1本で、一人が必要な飲料水を3年分ほど浄水することができ、タンク形式のファミリー版もあります。

ここで、同社はエンドユーザーには課金をしていません。では、同社はどこでマネタイズしているのか?従来、飲料水を得るためにケニアの皆さんは大変な道のりを越えて汚水を汲み、木を燃やして煮沸していたので、大量のCO2が発生していました。

ライフストローの普及でCO2の削減が実現したため、べスターガードはその実績に基づいて国連などの国際機関の認証を取得し、CO2排出権を民間企業に販売する、というビジネスモデルを運用しているのです。

企業にとってCO2排出権はコモディティなので、どこから買ってきてもよいようなものですが、ぜひライフストローのCO2排出権を買いたい、というニーズが生まれます。ライフストローを応援しているというCSRやCSVのメッセージを社会発信することができるからです。結果として、ライフストローのCO2排出権はプレミアム性がつき、日本でも大手商社が購入し、自社サイトのトップページで紹介していたりします。

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SDLはデジタルテクノロジーとセットで、デジタルを活用しないとSDLへの転換はできないようなイメージがありました。でも、これは完全にアナログな仕組みですね。

そうですね。デジタルテクノロジーによってSDLやMSPの可能性や実現性が格段に向上している側面はあると思いますが、必要条件ではないと思います。

この事例では、同社は、きれいな水にアクセスしたいエンドユーザーだけでなく、地球規模でのCO2排出量の削減を図りたい国際機関、自社のCO2排出目標を達成したい民間企業、の三者と価値共創を図るスリーサイドのプラットフォームを実現しています。このように、誰とどんな価値を共創し、どの価値に対してどのように課金をするか、価値星座の観点から考えてみると、様々な「価値創造」と「価値獲得」の組み合わせの可能性に広がりがでてきます。そこに、アナログかデジタルかという違いはありません。

SDLへの転換の出発点は、顧客を理解すること

SDL型あるいはMSP型のビジネスを模索するとき、「顧客との価値共創」をどのような観点で考えていくと、より良い顧客体験を生み出せるのでしょうか?

顧客の課題や行動をよく理解することに尽きると思います。特に、顧客が抱えている課題やすでに知らず知らずのうちにとっている行動についての理解を深めることが、より良い価値づくりの出発点になると思います。

企業から顧客への一方的な価値提供を前提とするGDLでは、顧客は企業活動の対象物として位置づけられ、企業が生産した価値に対価を払って消費する存在と考えられます。一方、SDLやMSPでは、顧客も価値創造を担うので、多くの場合、顧客にも何らかの資源を提供してもらうことになります。

資源とは、顧客の時間や能力、知識、スキル、センスなどです。前述のナイキプラスの場合であれば自分のランニング履歴を、コマツKOMTRAXの場合であれば建設機械の稼働データを、Airbnbなら空室状況を、顧客が提供していますね。

ただ、ここで注目したいのは、多くの場合、この新しい価値づくりのために顧客がわざわざ特別な努力をして生み出してもらっているとは限らないことです。昔から市民ランナーは毎日のように走り、建設機械は建設現場で作業をし、空き部屋は存在していた。そもそもの顧客が抱える課題をよく理解し、顧客が平時から取っている行動やそこで生まれている思考や感情をとらえることが大事です。

顧客の課題を理解し、行動を把握することが、顧客と価値を共創する機会を見出すことにつながる、と。

そうです。例えば、レゴ社の「LEGO IDEAS」は、ユーザー主導の商品開発を推進する日本のCUUSOO SYSTEM社と同社が共同開発した仕組みです。レゴファンには本来「自分のオリジナル作品を皆に見てほしい!」という欲求があることに注目し、それをWebを通して全世界に発表できる場を創出しました。

投票機能を備え、得票が多い作品を製品化し、考案者には一定のロイヤリティを支払うという仕組みです。レゴにとっては、全世界4億人のレゴファンの創意工夫を拝借でき、製品化した際の購入見込みも得票という形でつかめているという、テストマーケティングも兼ねた場になっているのです。

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レゴ社とユーザーが、新製品を共創しているのですね。とはいえ、実際にSDLやMSP型の価値づくりを実践するには、現実的にたくさんの壁がありそうです。

たしかに、先進企業もそうやすやすと実現しているわけではありません。実際のビジネス環境においては、レンズ1型とレンズ2・レンズ3型が混在している過渡期であることも踏まえて、自社の状況に即した現実的な移行過程を探ることが大事だと思います。

レンズ2やレンズ3では、価値創造と価値獲得を組わ合わせで考える2×2=4通りの可能性がある、と説明しました。ただ、交換価値を最大化して課金する「交換価値×交換価値」モデルから一足飛びに、使用価値を最大化してそこに課金する「使用価値×使用価値」モデルに転換するのは、実はけっこう難しいものです。図の左下から、右上への転換になりますね。

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このタイプの好例は、ゼロックス社です。従来のコピー機メーカーから、早くも1991年に「ザ・ドキュメント・カンパニー」への転換を宣言し、保守点検などのサービスの中にコピー機というモノを貸与して使用量で課金するモデルを構築しました。

例えばアドビは、左下→左上→右上という道筋をたどっています。従来のパーペチュアル型(ソフト買い切り・永続ライセンス)から、各ソフトの利用権をサブスクリプション型に移行した段階では、ユーザーの中には、主に同社の各ソフトが提供する機能や性能(交換価値)を必要とする一方、その対価はその機能や性能を一定期間享受するための権利に対して(使用価値)に対して支払った人が多かったのではないかと思います。

いまでは、ユーザーの作業履歴をアドビのAI「Adobe Sensei」で収集・分析し、「次に必要なのはこの作業では?」と提案してくれるようになっている。すると、ユーザーとして対価を支払っている理由は、単に各ソフトの機能や性能ではなく、「使えば使うほどより自分に個別化されたよりよい体験が得られること」になっていくので、これは使用価値への課金となります。

複数のロジックを使いこなす経営の胆力を持つ

よりよい顧客体験を創造することからフォーカスを外さず、この先も存続する新たな価値づくりを確立するために、アドバイスをいただけますか?

顧客と価値を共創することは、そのプロセスを顧客が体験するわけなので、顧客体験の創出そのものとも言えます。自社を含めてビジネス環境を俯瞰したり、視点を少しずらしたりして、社内資源(ヒト・モノ・カネ・情報)だけではなく世の中全体の余剰資源や、顕在化する機会を待っている潜在ニーズを探ること。そして、自社と顧客や第三者などの間にどのような共創機会をつくれるかを考えていくと、新しい顧客体験を生み出すヒントが見つかると思います。

ただし、繰り返しになりますが、いまわたしたちが生きている時代は、新旧の価値づくりが共存するハイブリッド段階、モザイク状態にあります。初めからデジタルを前提として起業したボーンデジタルなスタートアップ以外は、いまでもGDLで短期的な売上や利益を実現する事業が主流です。これまでの産業革命がある日一瞬で起こったわけではなかったように、第4次産業革命といわれる現在進行形の変化も年数をかけて進行していくものと思います。

いま、私たちは過渡期にいるんですね。

ですから、この過渡期を越えて顧客とともに新しい時代へと生き残るには、異なるロジックを正しく理解した上で「実業はモザイクだ」との前提で臨むことが必要です。GDLが劣っていて、SDLやMSPが優れている、ということではないのです。異なるロジックに基づくビジネスを行き来しながら、既存事業の強化と新規事業の創出の両立を図ることが重要です。そして、そのための組織体制や意思決定プロセス、そして評価体系が求められます。既存企業にとっては大変ですが、一方で、顧客接点や顧客履歴など新興企業にはない強みももっていることも事実です。

コマツの担当者にうかがったところでは、2011年のKOMTRAX開始時、同サービスのメリットを説明してオプションサービスとしての課金を目指したものの、どのユーザー企業にも理解していただくのは難しかったそうです。そこで当時の経営陣が、標準装備として無料で実装するという英断を下しました。

タダでついてくるオプションに反対する顧客企業はなく、それがネットワーク拡大を促し、膨大なデータが生成され、建設現場のコスト削減や生産性向上に役立つ様々な分析や提案が行われるようになりました。それに伴い、同社は製品の値上げに踏み切りますが、「建設現場の管理がこれだけできるのなら仕方ないか」と顧客は受け入れてくださった。この話を前述の「価値創造×価値獲得」のマトリックス図上で整理すると、同社は、価値創造としては「使用価値」の最大化を追求する一方、価値獲得においては交換価値に課金する、「使用価値x交換価値」モデルでKOMTRAXの拡大を図ったことになります。

その後、同社は、中国やチリなどの鉱山現場を丸ごと請け負い、無人で遠隔操作できる機械を拠出して生産性向上とコスト削減などの事業成果に課金する、図の右上「使用価値×使用価値」のビジネスに乗り出しています。

最後に、顧客や第三者との価値共創を進める際には、あらかじめ全てを計画しつくすことが難しいことも指摘しておきたいと思います。つまり、価値共創を実現するためには創発的な事業展開を可能とする戦略立案や組織運営、意思決定プロセスや業績評価の仕組みなどが経営者に求められるようになります。ぜひ、皆さんの企業が顧客や第三者と前例のない価値を築かれるよう、期待したいです。

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