事業の存在意義が社員の行動を変え、顧客との関係性を変える。ベネッセが実践する徹底した顧客ありきの活動の背景|Experience Insights #12
ベネッセコーポレーションでは2015年ごろから、教育事業を中心とした事業の見直し、強化に着手。翌2020年春に見舞われた、コロナ禍の影響による一斉休校という事態には、無償の教材や毎日のオンライン動画の提供をわずか数日で準備し、多くの子どもたちと保護者の支持を集めました。なぜ、このような動きが可能だったのか?パーパス策定によって社員の行動が変わり、顧客体験が変わっていったこと、それをデータが下支えしていたことが見えてきました。
- 橋本英知はしもと・ひでとも
- 株式会社ベネッセコーポレーション 取締役 マーケティング開発セクター長(兼 株式会社ベネッセホールディングス 執行役員 グループデジタル本部長)
- ダイレクトメールを中心とした、各種メディアによるセールスプロモーションツールの企画・制作に携わる。新商品開発、新規事業開発、経営企画などを経験後、CMO補佐などに広く従事。こどもちゃれんじ事業、英語教育事業の責任者を経て、現在は、ベネッセコーポレーションの教育事業におけるマーケティング・セールスを担当。ダイレクトマーケティング、ブランド、CRM、デジタルトランスフォーメーション、人材開発領域での活動を中心に、講演・寄稿など多数。
近年、事業の運営や企業経営において「事業の存在意義」をより明確にする潮流が色濃くなっています。
自分たちが何を提供するのかではなく、顧客や社会にとっての「存在意義」を見つめ、そこから「何をすべきか」を考える。その実践には、模索が重ねられています。
ベネッセコーポレーションでは2015年ごろから、教育事業を中心とした事業の見直し、強化に着手。2019年より「パーパス・ブランディング」を掲げて、ブランドごとの存在意義(パーパス)の運用に取り組んできました。翌2020年春に見舞われた、コロナ禍の影響による一斉休校という事態には、無償の教材や毎日のオンライン動画の提供をわずか数日で準備し、多くの子どもたちと保護者の支持を集めました。
なぜ、このような動きが可能だったのか? 教育事業のマーケティングを統括する橋本英知さんにお話をうかがうと、パーパス策定によって社員の行動が変わり、顧客体験が変わっていったこと、それをデータが下支えしていたことが見えてきました。
顧客にとって、その事業の「存在意義」とは?
まず、橋本さんが統括されているマーケティング開発セクターの役割をうかがえますか?
マーケティング開発セクターは、BtoC事業のマーケティングコミュニケーションを担っており、「こどもちゃれんじ」「進研ゼミ」などの事業ブランドをカバーしています。
それぞれのプロダクト・サービスは各事業部が推進しているので、常に連携し、顧客の声をフィードバックする役割も担っています。社員数は全部で300人ほどで、コールセンターを管轄する部門から、お客様の声をフィードバックする役割も担っています。
顧客層は、0歳から高校生までと、その保護者です。ベネッセの企業理念「よく生きる」に基づき、全国のすべてのお子さまに等しく教育の機会が行き渡るようにという考えがあります。
ベネッセさんでは、2019年より「パーパス・ブランディング」に注力されているそうですね。その経緯を教えてください。
「パーパス・ブランディング」と言い始めたのは2019年で、社会や顧客ニーズの大きな変化の中、自社の在り方を考え直すプロジェクトとして社長の号令の下でスタートしました。我々は何のために存在するのか、かつ、何を判断基準に行動していくのかを明確にし、それを拠り所として事業を推し進めていく。 パーパス・ブランディングとは、そんな意味合いで使っています。
プロジェクトのきっかけは、第一に市場環境の変化です。近年、生活者のニーズは多様化し、また変化が激しく、将来の予測が困難な時代になっています。そんな中で、事業を行っていくためには、改めて拠り所を明確にしないといけないと考えていました。加えて、2014年に起きた個人情報流出の事件も背景にあります。
2016年、小林仁・現ベネッセコーポレーション代表取締役社長が就任してから2年ほどで、「こどもちゃれんじ」「進研ゼミ」の会員数は回復しはじめました。そこで、将来を見据えて、これからも顧客の「よく生きる」を支えるためには、事業ブランドごとに存在意義を定義し、判断基準・行動基準を統一することで、お客様に圧倒的に信頼される企業を目指していこうということになりました。
なぜ、各ブランドごとに「存在意義」が必要なのでしょうか?
私たちは事業ブランドごとに、まったく異なるお客様に向き合っています。であるなら、その単位で「何のために存在しているのか?」を明確にする必要がある。そうしてこそ、各ブランドに関わる社員が腹落ちし、それぞれのお客様に向き合うことができ、メッセージや施策の展開に一貫性が生まれます。 結果として、お客様本位で考えている我々の姿勢が伝わり、信頼を得られていくと考えました。
そこから各事業ブランドの「存在意義」を策定するプロジェクトが始まり、のちに“パーパス”という言葉になりました。並行して、ベネッセ全体としての「存在意義」を策定するプロジェクトも走らせ、社長自らが文章を何度も書き、役員たちで議論を重ねて完成させていきました。
ベネッセ全体の「存在意義」があり、それにひもづいて各事業の「存在意義」がある、と。
そうです。それも「教育事業」のような粒度だと粗くて、「こどもちゃれんじ」や「進研ゼミ」などブランドで切り分けています。パーパスを存在意義とするなら、誰にとっての存在意義なのか、ということになる。
だから、お客様が異なるブランドごとに分ける必要がありました。その粒度をどうするかは、かなり議論を重ねました。
例えば、進研ゼミというブランドでも、小学生と中学生では我々の存在意義は異なります。常にお客様本位で考えられるよう、存在意義を元に、プロダクト・サービスはもちろん、TVCM・DM・Webなどのコミュニケーション活動も都度アウトプットしています。
「存在意義」が浸透していたから、緊急時も「顧客ありき」で即座に現場が動けた
「存在意義」(パーパス)を設定して、どのように‟運用”されているのでしょうか?
ベネッセには全社員共通の判断・行動基準である「イズム」があります。存在意義を示す「パーパス」は事業のブランドごとに設定して、どう行動するか?の指針は全社共通のものになっています。社員は、各ブランドの担当をしていますが、所属しているのはベネッセだからです。
社内の視点ですが、ベネッセの社員はそもそも「お客様に価値あるサービスをしっかりとお届けしたい」という意志が、とても強いと感じます。 よって、かつての3.11や、今回のコロナのような社会的な課題が起こったときに、「どうすればお客様の役に立てるか? 安心していただけるか?」「既存の制約や条件の何をクリアすればいいのか?」を、上から考えさせるのではなく現場の一担当者が考え、上に提案できる土壌があります。
社員が10人ほどの会社なら、存在意義なんてわざわざ言語化しなくてもいいのかもしれません。ただ、組織が大きくなると、どうしても同じ方向に一気に動くのは難しくなります。
我々も近年、‟大企業病”なところがあったと思います。だから、一人ひとりの社員が、存在意義を踏まえて「お客様のためにこれをすべきだ」と考え、それに向かって組織として動けるようにならないと生き残れないと思っています。逆にそれができれば、大企業だからこそのアセットやリソースを、強い武器にできると思っています。
「存在意義」を設定したことで、多くの人数が働く組織でありながら、一人ひとりが顧客のためを考えて動く状態にできたんですね。
はい。最近の事例では、2020年2月末、コロナ禍の影響で学校の一斉休校が発表されたあとの対応も、存在意義があったからできたと考えています。
発表があったのが、2月27日(木)の夕方。過去の教材から再編集する形で、学年別の「春の総復習ドリル」を制作・無償提供することを決め、翌週3月2日(月)17時から受付を開始しました。同時に、通常は会員向けに提供している電子書籍サービス「まなびライブラリー」を、出版社や図書館、著者など関係者の方々に許可をいただいて無償開放しました。
幼稚園や保育園の休園も続々と決まる中、3月18日からは平日10~14時に動画を配信する「オンライン幼稚園」を始めました。こちらは決定から1週間でローンチさせ、その後、SNSで知った海外の方からの問い合わせに応えて、翌日までアーカイブ化するようにしました。続いて4月10日から、小学生・中学生向けのオンライン教室「きょうの時間割」を開始し、彼らに人気のある方々にも講師になっていただいて、バラエティに富んだ“授業”を毎日計3時間配信しました。
オンライン幼稚園の画面と、春の総復習ドリルのイメージ
特に「春の総復習ドリル」は、2日後にPDF提供も始められましたが、最初が紙の冊子の企画で驚きました。印刷し郵送するコストは相当だったと思います。そんな決断を、このスピード感でできるような組織体制になっていたのでしょうか?
いえ、一連の発端は、個人が考えて動いたことです。進研ゼミは、事業部や関連会社、システム周りも含めると相当な規模なので、組織体制としては舵を切るのが重たいです。
無料ドリルは、休校が発表されてすぐに私や周りの数人で話して、翌朝の経営会議で提案し、そのまま手を尽くして実現に漕ぎつけました。そうしたことが可能だったのは、体制だとか指示系統の話ではなく、理念を大切にしている素地がある上で、存在意義の策定とそれに対する個人の理解が進んでいたからだと思います。ビジネスのスケールやROIありきではなく、「お客様の困りごとに応える」活動に集中できました。
存在意義があることで、顧客に向き合えたのですね。教材提供には、社外のステークホルダーとの連携も重要だったかと思います。こちらも短期間で実現できたのは、なぜだとお考えでしょうか?
前述の権利許可もそうですが、当然ながら印刷会社やWebサイト運用会社の方々にも、通常はこんなに短期間の仕事は受けてもらえません。今回みなさんが動いてくれたのは、普段から一緒に仕事をする中で、我々の思いを理解してくださっていたからだと思います。結果、この有事の際にお客様の役に立つことができ、少しは社会に良い影響を及ぼせたんじゃないかと思っています。
「オンライン幼稚園」を制作する、「こどもちゃれんじ」を担当する社員の方
データは顧客の期待に応えるためにある
パーパス・ブランディングを推進する上で、大切にされていることを教えてください。
パーパスに基づいて事業を推進するには、どのような存在であってほしいと思われているのか、お客様の変化する期待や困りごとを、常に理解していく必要があります。そのため、何よりも「顧客理解」を大切にしています。お客様の状況や気持ちを捉えて、次の行動を判断し、適切に対応するようにしています。
では、その中でデジタルの役割や、データ活用をどう位置づけられていますか?
我々にとってのデータの役割は何かというなら、第一義に「顧客理解のための手段」だと考えています。
同じくデジタルも、あくまで手段です。自分たちの施策を、時代に合わせて無理やりデジタルシフトしよう、といった考えはありません。例えば、オンライン広告に割く予算の割合が増えているのも、お客様の反応がオンラインのほうが高くなっていっているのに合わせているだけで、いわば結果論です。
2020年3月中旬から毎週、保護者へのアンケート調査を実施されているそうですね。特に3~5月あたりは、顧客の心理変化も激しかったのではないでしょうか。先ほどの「顧客理解」という観点から、この週次調査で印象的だったこと、それを踏まえて施策を変えたことなどはありますか?
例えば前述の動画配信コンテンツで、時間を区切って意識的に‟時間割”と展開したのは、「ずっと家にいるとダラダラしてしまい、勉強をやる気が出ない」という声に応えたものです。学習習慣を取り戻すために、まずは生活のリズムをつけてもらえたらと考えました。
オンライン教室「きょうの時間割」では、通常の学校のように“授業”を展開。子どもたちの今の状況を捉え、「ルーティンを続けよう」と呼びかけた
また、新規顧客募集のプロモーションとしては、2020年3月中旬からお客様の感じていることが、各エリアの感染状況によって大きく変化してきていることがわかりました。そこで、急遽エリア別のプロモーション施策に切り替えました。これも、従来よりもっと細かくお客様の声に向き合おうとしたからこそ、生まれた打ち手でした。
そもそも3月は我々の繁忙期で、特に春休み前は新規顧客の申し込みのピークです。それがちょうど、休校から2週間という勉強をやる気になれない時期に重なってしまいました。例年は全国一律のマスコミュニケーションと、個人の履歴に合わせたアプローチを展開していましたが、今年はそれだけではお客様に響きませんでした。そこで、エリアごとに、訴求内容や締切日、お届けするものを変えたりしたところ、申し込み数が上向き始めました。
4月以降、緊急事態宣言が都市部から拡大していきましたが、その時点では、すでにエリア別の対応は完了していました。「家ナカ需要の商材は全部伸びるだろう」と語られたりもしていましたが、そんなに単純ではありません。緊急事態宣言を境に伸びたのは、その前に、現場の担当者とともに顧客理解に努めていた助走があったからだと感じています。
困ったら顧客に聞く。人から得られる情報がなにより大事
エリア対応のスピード感も、通常ではありえないことですね。
そうですね。でも、例年盛り上がる時期にピークがこないのだから、同じことをしていてもダメだとみんながわかっていました。お客様に響かないということは、その気持ちに今の我々の活動が寄り添えていないということですから、顧客理解のヒントを調査データなどの顧客の声に求めたわけです。
定量データと、定性データの把握や使い分けなどはありますか?
定量的なデータは先ほどのアンケート調査で捉える一方、定性的なデータはコールセンターなどからつかんでいます。
コロナ禍の活動を経て、こうしたコールセンターなどに集まるお客様の声の使い方も変わりましたし、速くなりました。デジタルでのA/Bテストは確かに一定のスピードを出せるので、我々も使っていますが、客観的な判断をするためにはある程度のデータ量が必要になり、1日で判断することはなかなかできません。お客様が求めているものをスピーディに届けることと、スケールを出すことを両立するには、デジタルだけでは遅いんです。
もっと速くできないかとみんなで模索した結果、いちばん速かったのは「お客様に直接聞くこと」でした。 マーケティングで立てた仮説を、コールセンターのオペレーターに共有し、お客様へのトークに盛り込んで反応を捉えて「もう少しこうしたほうがよさそう」などの感触を戻してもらいます。そのフィードバックを元に判断し、デジタルで展開する。このほうが圧倒的に速く、効果的でした。
そうした流れだと、1日単位でブラッシュアップできると。先ほどのエリア別の展開なども、そうだったのですか?
はい。お客様の声による仮説検証を経て、オンライン広告で絞り込んだパターンを出して、さらに定量的な数字を確認します。さらに、その結果を踏まえて加速しようとなったら、紙媒体の中では足の早いハガキDMを準備したり、キャンペーンを企画したりと、少しずつ動きを拡大しました。
PDCAを回して成果が高いほうへ寄せるのは、普通のことですが、それを、全メディアを使って実践できたことは、この時期のひとつのナレッジになりました。
存在意義は社員の行動を変え、取引先との関係も深める
一連の活動を経て、社員の方々にはどのような変化がありましたか?
もともとの文化と、存在意義の策定・運用に着手していた中でのこれらの活動は、「一人ひとりのお客様をどれだけ知ることができるか」「そこにどんな価値を提供できるか」を我々が突き詰めて実践する機会になったと思います。
大企業になると、どうしてもスケール化の命題がつきまといますが、それが先にくると実現できないことも多い。例えば「オンライン幼稚園」などは、ROIありきだと絶対に踏み出せないわけです。まずは意志で動き、お客様の反応を得て、それをもとにスケールを模索してもいいんじゃないかと、そんなふうにより柔軟に考えられるようになりました。
これまでも、お客様が100万人いたとしても一人ひとりの意見を大事にしてきたつもりですが、できていない部分もあったと思います。それをもう一度、大事にしようと見つめ直せました。
そして今、一人ひとりのお客様に向き合えるのは、デジタルを活用できているからです。20年前だったら、有事の取り組みも大勢を漠と捉えて大勢に伝える、マスコミュニケーションになっていたはずです。
一方で今は、デジタルによりお客様一人ひとりの状況がわかる時代です。そんな時代に社員がばらばらに動いていたらどうでしょうか。お客様はそれぞれ違って当然ですが、そこで社員が各々の価値観だけで動いていたら、ベネッセである意義も事業の意義も皆無に等しくなる。結果、組織の規模やケイパビリティも発揮できません。
デジタルが当たり前の時代だからこそ、存在意義のもと、社内をひとつにすることの重要性が高まっていると思います。 今回の反響も、存在意義を理解し、行動できていたからこそ、お客様に価値を提供できたのではないかと捉えてます。
ただ、このスピードで事業を続けていくのは、非常に大変なことも事実です。やっていることはPDCAではなく、OODAループ(※「観察:Observe」「仮説構築:Orient」「意思決定:Decide」「実行:Act」を回す、軍事戦略家が提唱したフレームワーク)に近い。さらに、これまで経験したことのないテレワークの環境。その中でやりきるために、従業員満足度(ES)調査の頻度を高めたり、組織のコンディションのトラッキングを重視し、ES環境の向上にも注力しています。
この考えは取引先に対しても同じなので、前述のように取引先とのコミュニケーションも深めています。社内だけでなく、取引先にも常に意識を向けながら、ワンチームで動けるマネジメントをしていかなければと考えています。
存在意義がEX(Employee Experience)を高め、CX(Customer Experience)の向上へと結びついているんですね。現時点で、顧客の態度変容などに手応えなどがあれば、お聞かせいただけますか。
すぐに反応があるようなものではないと思っていますが、まず毎年実施しているブランド調査では、コロナ禍での活動を知っている方と知らない方とで、信頼度など各種スコアに大きく差がついていました。
定性的な実感としては、コロナ禍での我々の対応に対して「社員のみなさんも大変な状況なのに、ありがとう」という感謝の声が多く寄せられたことには驚きがありました。
通信教育事業は、会員数も非常に多く、我々がお客様と直接顔を合わせられる機会は少ないです。そんな中で、我々の自身のことを、人として気遣っていただけたことは、大きなモチベーションにつながりました。これはお客様と我々との関係における、ひとつの変化なのかもしれません。今後もお客様の声はもちろん、社内の声、取引先の声にもきちんと耳を傾け続け、社会に必要とされる事業を続けていきたいと思います。